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KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(2002)PhongsawadanLan-Chang:TamToiKhamNaiChababDoem(ラーンサーン朝年代記:原本中の述懐より).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek(年代記集成祝賀版),Vol.9,(inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(2002)PhongsawadanLan-Chang:TamToiKhamNaiChababDoem(ラーンチャーン朝年代記:原本中の述懐より).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek(年代記集成祝賀版),Vol.9(inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(2002)PhongsawadanLuangPrabang(ルアン・パバーン年代記).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek(年代記集成祝賀版),Vol.9,(inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(2002)PhongsawadanLuangPrabang:TamChababthiYuNaiSalaLukkun(ルアンパバーン年代記:サーラールーククン本).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek(年代記集成祝賀版),Vol.9,(inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(2002)PhongsawasdanMuangYasothon(ムアン・ヤソートーン年代記).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek(年代記集成祝賀版),Vol 9,(inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(2002)TamnanMuangChampasak:MomOmuru-angwhichit(ムアン・ジャンパーサック伝承).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek(年代記集成祝賀版),Vol.9,(inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(2006)PhogsawadanMuangLaveakJ.S.1158(ラウェーク年代記小暦1158年本).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek (年代記集成祝賀版),Vol.12, (inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(1999)SilajarukPhokhunRamkhamheang(ラームカムヘン王碑文).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek (年代記集成祝賀版),Vol.3(inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(1999)PhogsawadanKrungSriayuttayachababPhan Jantanumas(アユタヤ王朝年代記パンチャンタヌマート本).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek(年代記集成祝賀版),Vol.3(inThai).KanakamakanFaiPramuanEkasanleaJotmaihet(1999)PrarachaphongsawadanKurungkaoChababLuangPrasert(アユタヤ年代記ルアン・プラスート本).inPrachum Phongsawadan Chabab Kanchanapisek(年代記集成祝賀版),Vol.1,(inThai).90えられる。スコータイにおいてもジャヤヴァルマン7世時代以降、スコータイ様式を確立していく過程で、クメール系の美術形式を模したものが造られ、ワット・シーサワーイやワット・プラパーイルワンからはナーガ仏も見つかっている。手に薬壺を持つため薬師如来とされているが、形式だけ真似た可能性もある。また、ピマーイでもやはりジャヤヴァルマン7世期以降のものと見られるナーガ仏が多数見つかっているが、土着化が進み、もはやナーガ仏の大きな枠組みのみを継承しているに過ぎない作例も見られる。この頃大乗仏教に代わって上座部仏教が広がっていることから、あるいは仏伝にみられるムチャリンダ竜王の伝説を表す像である可能性も考えられる。 以上から、本稿で検討した多くの像はパバーン仏よりさらに古い形式を示しており、パバーン仏請来時かそれ以前にラオスに入ってきた可能性も否定できない。これらの像は3つのグループに分けて考えることができる。まずバイヨン期からバイヨン期直後の時期に遡る形式を有する作例、そしてほとんどを占める地方的特徴を表す作例、さらにナーガ仏という形式や一部の特徴のみクメール美術から受け継ぐより新しい像である。その多くを占めるのはファーグム王より古い時代のもので、ファーグム王より以降はクメール美術の影響を受けた像は下火となり、タイの影響下での造像へと変わっていく。これはスリランカ派の上座部仏教がスコータイなどから流入したことに伴う仏教交流の結果であり、ランサーン朝の外交関係を表していると言うことができる。●参考文献外国語:JirasaKhachachiwa(2016)Vajrayan Tantra(金剛密教)(inThai).

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