挿図16 禅定印坐像ルアンパバーン王宮博物館挿図17 禅定印坐像ルアンパバーン王宮博物館87挿図18 禅定印坐像ワット・ウィスンる。このような加飾変更例はロブリー出土の石仏で多く見られる。以上種々の特徴が混在していることから、13世紀後半から14世紀前半の作品と考えられる。 タートルアン寺院にはもう一体ナーガ仏(挿図15)があるが、この像は胸部から上、両膝、台座の一段目が欠損している。偏袒右肩で左肩から布(サンカーティ)が下がり、裳の腰の部分は少し張り出した腹部の両脇で背中に向かって高くなり、文様のないベルトが腰に巻かれている。以上上述の同寺院ナーガ仏と共通点が多い。 王宮博物館所蔵のナーガ仏禅定印坐像(挿図16)は赤色砂岩製とみられ、炭粉漆らしき黒い塗料が全身に付着している。編み上げられた髪、幾分下向きの顔に伏し目、微笑みを浮かべた厚い唇、前かがみの上体、左肩からの幅広の布(サンカーティ)、左脇下が彫り抜かれず袈裟でふさがれている点、弓状に表現された脛といったバイヨン期に由来する特徴を持つ。 一方末広がりの円錐形冠や細部の省略された蓮弁の列はバイヨン期の典型ではないが、バンテアイクデイ廃仏にも見られる。炭粉漆の塗布跡は通肩にも見え、そうであれば、左肩から布(サンカーティ)が垂下しているのと相容れない。以上バイヨン期の形式を基調としつつ、バンテアイクデイ廃仏にも見られる特徴を持つことから、13世紀中頃から14世紀初頭の作例としておきたい。 王宮博物館所蔵のもう一体のナーガ仏(挿図17)は厚く漆箔されているが、鼻が大きく、厚く広い唇には微笑みをたたえ、目は閉じているように見える。大衣の様子は確認できないが、両脇の下は完全に彫り抜かれている。頭部の表現もかなり独特で側頭部がこぶのように張り出し、円錐形の冠は小さい。このような特徴はより後世に属すると考えられるため、顔の不自然な表現も併せて後代の修復である可能性もある。一直線の脛は写実性に欠けるが、全体的にはおおむねバイヨン期の影響が強い。足の裏が前側に向いているように見えるのは、地方性を表しているのかもしれない。以上のように地方的な表現が見られることから、13世紀後半から14世紀前半の造像だと考えられる。頭部が元のままの姿を保っているとすれば、さらに年代は下ることになる。 ワット・ウィスンでは石彫ナーガ仏が2体確認されているが、一体は破損が著しく詳細が確認できない。もう一体(挿図18)も上半身のみが残る。眼球部分が刳りぬかれているが正面を見据え、唇は波打ち口ひげをつけ、バプオン期の特徴が見られる。肩幅は狭く、肉付きの薄い胸部や、やや厚い腹部を持つ。また頭部は縦長で髪は線刻で細かい粒を表現しているが、螺髪にはなっていない。頭頂部は確認できないが、概ねバイヨン期以降に属する表現ではないかと見られ、13世紀後半から14世紀前半の像としたい。
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