lao_20th
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挿図5 説法印像 ワンチャーン洞窟挿図6 説法印像と禅定印像 ワンチャーン洞窟挿図7a,7b.説法印像と禅定印像 ワット・タートルアン82いもので、地方化の表れとみてよい。やはり13世紀後半から14世紀半ばの作品とみられる。ワンチャーン洞窟 ヴィエンチャン周辺ではタイ東北部に広く普及したドヴァラーヴァティー美術とクメール美術両者の特徴を併せ持ち、さらに地方的な特徴が強く表れた仏像が見られる。ヴィエンチャンの北約60キロのポーンホーン近郊に位置するワンチャーン洞窟では特に地方化が進んだ像が見られる。洞窟というより岩壁だが、その壁に仏像を浮彫で描いたもので三つのグループに分かれ、立像一体、禅定印半跏趺坐像6体、説法印半跏趺坐像3体(うち2体は大仏:挿図5、6)の計10体が現存する。クメール美術の影響が見られるのは立像と禅定印像だが、その影響は部分的でクメール美術からはかなり離れている。禅定印では両手指を突き合せ、説法印像では、左掌に重ねた右手で輪を作りいずれも他で見られない独特な結印法である。ゆるい趺坐組みと右足裏の前面への傾斜はタイ東北部ドヴァーラヴァティー仏の影響であろう。 ここで見られる10体の像には異なった表現が認められ、クメール美術からの特徴をより保存している立像や禅定印像は13世紀後半まで遡る可能性があるが、二体の大仏は刻文の年代つまりサクチャイの言う西暦1566年まで下る可能性がある。 ヴィエンチャンのワット・タートルアン回廊の結界石に彫り出された趺坐像(挿図7a,7b)は禅定印を結ぶ手や足裏が正面側に傾く点、説法印を結ぶ位置でワンチャーン洞窟像と同様の特徴を示す。これら地方化の進んだ作品群は13世紀後半以降に造られたと考えられるが、ワンチャーン洞窟で見られるような説法印の結印法は16世紀まで受け継がれていたようである。 以上本項ではヴィエンチャンにおけるクメール仏とされる像を見てきたが、クメール王朝の政治力が及んだと考えられる12世紀後半あるいは13世紀前半のクメール様式の基準例に準じたものと、その後地方的特徴をも併せ持つ13世紀後半から14世紀半ばの像が見られた。そういった地方的特徴の中にはより後代の形式と考えられるものも含まれ、もはやクメール美術とは共通項が薄いこれらの像は16世紀にまで下るかもしれない。

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