挿図1 石仏、ワット・タートルアン、ヴィエンチャン7959マドレーヌ・ジトーは12世紀後半から13世紀前半としている(前掲註55,p446.)60前掲註55,p448.(ダルマサーラー)が建てられたとされるが、タイ全国では少なくとも30箇所の施療院跡が見つかり、そのうちアンコール都城とヴィエンチャンの間に広がるタイ東北部では23箇所発見されている。三本の道のうち一本がアンコール都城からピマーイへの道であり、その道を延長していくとサーイフォンに至る。ピマーイはジャヤヴァルマン7世時代以前からクメール人の重要都市でありマヒダラプラ王家の本拠地とみなされている。発掘品はサーイフォンにジャヤヴァルマン7世時代前後にはクメール人の力及んでいたこと示しているが、アンコール都城の力が直接及んだのか、あるいはピマーイ勢力の力が伸びてきた可能性も考えられる。以上からサーイフォン像はバイヨン期12世紀末から13世紀初めの像だと考えられる59。 なおタートルアン寺院の回廊にはクメール様式の仏像と見られる石像ナーガ仏が少なくとも4体現存するが破損がひどく詳細は不明である。ホープラケーオ堂 ヴィエンチャンで最も多くクメール様式像が集められているのはホープラケオ堂である。サクチャイが結界石だとする二点の石板の浮彫りのうち一点目は大乗系の三尊像で如来の左右に観音菩薩と般若波羅蜜多菩薩を配した典型的な構成である。もう一点は蓮弁型の光背の前に仏の三身を表す三尊が並ぶ。どちらも地方性的特徴の形式を示している60。 堂内南面の壁沿いには興味深い作例が並んでいる。まず砂岩製の仏頭は各層に蓮弁が巡る三層の冠をつけ、口元に微笑みを浮かべるバイヨン期の特徴を現しながら、眼球部の盛りあがりや大きな粒状の髪といったドヴァーラヴァティー様式の仏像の特徴も併せ持つ。このようなクメール美術とドヴァーラヴァティー美術の混合はタイ東北部やロブリーにおいて見られる。以上から本像はバイヨン期以降の13世紀後半から14世紀前半に属すると考えられる。 施無畏印立像は作品キャプションにヴィエンチャン出土とある。厚い唇などバイヨン期かそれ以前の特徴を持つが、中程度の螺髪のもみあげ部分だけが小粒となるなどワンチャーン洞窟像などにも見られる地方的特徴を示す。したがって14世紀以降、あるいは16世紀まで下がる可能性も考えられる。 観音像あるいはヴィシュヌ像とみられる四肢立像は、真珠の首飾りとS字型の葉文様列を持つ首飾りの二本をつけ、腰巻の前部で直線襞文様を持つ錨型の折り返しが二重になり、全体的にアンコールワット期像の特徴を示す。一方で腰紐の結び目からは襞のあるそら豆状の房が下がり、さらに金属製を写した四角い留め金を持つベルトを巻いていることから、おそらく13世紀後半から14世紀前半まで時代が下ると考えられる。 両腕の欠損した立像は首飾りを着けているが、左肩から布(サンカーティ)がへそを隠すほど長く下がり仏陀像だとわかる。両手には施無畏印を結んでいたのかもしれない。腰巻に襞がないのはバイヨン期以降の特徴だが、両腿前に下がる二重の錨型の折返し部分は上側が下側より長い9世紀末に見られた特徴を示す。これは古い形式を後代
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