15 修復を行う上で、歴史的重要性を有したもの・制作過程が重要かつ研究に必要なもの・修復により美観を損ねるものを除き、積極的に欠損箇所を復元し、経過した時代を考慮して古色を施す。 修復とは、修理・復元だと解釈している。つまり最近の修復の傾向は、今後の保存を考えた修復であり、構造上崩壊の危険がある場合を除いて、過剰な修復は避ける傾向が見られる。 これは、過去無責任な修復により、オリジナルのイメージを大幅に変えるなど、オリジナル自体を壊してしまった修復が数多く見られた結果で、修復を慎重に行うのは当然だと考える。 しかし行き過ぎた慎重さは、本来の修復、特に復元の部分で修復本来の意味からかけ離れて行っているようにも思われる。 特にラオスにおいては、仏像は他の文化財と違い、現在も信仰の対象である事を無視してはならないと思うのだ。 日本の木彫仏は構造上から言っても、数十年に一度は修復というよりメンテナンスが必要になる。例えば使用されている接着剤であるが、基本的には膠が使われている。膠は30年前後で劣化すると聞いている。もし事実であれば、木彫で寄木の場合、頻繁に解体修理が必要になるが、数百年間その必要のない仏像も多く見られる。 ただ膠を使用した彩色仏像の劣化は激しく、彩色の剥落は保存状態にもよるが、経験上100年は保たない気がする。しかし彩色の劣化は古色として誠に美しいので、安易に修復する事は当然避けたい。これは程度の問題で、メンテナンスとしての修復は必要だと思う。 復元部分に関しては、復元を行う事の善悪ではなく、どのように復元するかが重要だと思う。したがって、制作年代の様式に則った復元を行う事により、完全とは言わないまでも、バランスの取れた良好な仏像修復を行う事が出来ると信じている。 更に、言うなれば技術力である。仏像制作・修復の技術はテキストやマニュアル書だけで習得できるものではなく、日々の積み重ねを辛抱強く行う事で始めて得られる。従来は徒弟制度の中で培われてきたが、社会制度の変化により徒弟制度自体が消えようとしている今日、仏像の復元機会を失うことは、技術の低下を招く事が懸念される。 ラオスにおける仏像修復については、当初は修復の概念すら感じられなかった。多くのラオス人は、要するに壊れた仏像は直らないと思っており、仮に修復するにしても、セメントとペンキの使用が常套だった。 我々のプロジェクトでは、当初の修復方針に基づき、ラオスに適合した仏像修復を模索したが、情報のなさにおいて行き詰まった。というのも、欠損箇所を復元する為の情報がほとんど無いため、修復方針に基づいた良心的な修復ができないのである。 結局、修復可能な仏像修復と並行して、我々自身で忍耐強くラオス仏像の情報収集と研究を行っていくしか無かった。 ちなみに修復可能な仏像とは、同一寺院内に設置され、明らかに制作年代が近いと思われる仏像が存在している場合で、その仏像から欠損箇所が予想できるケースである。具体的には、ワット・ビスンの仏像群がそのケースで、ようやく仏像修復の一歩を踏み出す事が出来た。 当初、ワット・ビスン及び地域住民にとって、大切な仏像が修復できるとは、想像すらできなかったと思う。その状態の中で、我々のプロジェクトを受け入れてくれた事に対して感謝の念に絶えない。 始めの一体に関しては、修復が完成するまでに3年を要したが、修復後の寺院関係者の反応は誠に良好で、我々への信頼は大きく前進した。 その後、紆余曲折を経て17年後の今日、四十数体の修復が完成している事を考えると、実に感慨深い思いがする。 他の寺院についても、我々のプロジェクトに仏像の修復依頼が来るようになった。おそらく、王宮博物館において実施した10周年記念修復展に、ルアンパパーン内の寺院関係者約150人を招待した事が大きなきっかけになったと思われる。 我々の小さなプロジェクトも、ラオスにおいて徐々に認知され始めたが、元より修復方針がラオスの現状に適合していたという事だと推察できる。 我々の修復は信仰の対象としての仏像である為、欠損部分の復元を行った事は、ラオス人にとって大変な驚きだったらしい。更に時代を感じさせる古色を施すに至り、彼らの求めていた以上の仏像
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